ドレーパーの日記

楽しい幼稚園生活を通じて学び、成長している子どもたちの姿

ぶどうの木 第23集

draper2006-03-23

在園時の保護者文集として「ぶどうの木」が発行されました。
今年で23集となりました。
頂いた原稿は、感動するものから笑えるものまで様々でした。
また、今年は教職員からも原稿を提出して頂きました。
予備がありますので、欲しい方、必要な方は幼稚園事務まで
ご連絡下さい。

ぶどうの木第23集 園長による巻頭言を紹介させて頂きます。

巻頭言「きらめくぶどうの実」
                   園 長 鈴 木 伸 治

ぶどうの木に実るぶどうは収穫となり、いずれぶどうの木からはなくなります。しかし、私たちのぶどうの木は実が次第に増えていき、なくなることはありません。それどころかたくさんの実がついて豊かな姿となるのです。言うまでもなく出会いの人々であり、豊かな経験がすばらしいぶどうになって木に結ばれているのです。そのぶどうが今の私達を支えているのです。
最近のぶどうの実を記しておきましよう。飼い犬のノアについては数年前にこの巻頭言で記しました。昨年の春、そのノアは一五歳の長寿で死にました。一昨年の夏頃から老衰が目立ち、散歩がおぼつかなくなりました。以前は散歩に出れば、ぐいぐいと綱を引き、ぶつぶつ叱りながら歩いたものです。それが、少し歩いては立ち止まり、歩くことを促されて仕方なく歩くようになりました。そして、ついに腰が抜けたようになり、歩けなくなりました。当初はそんな状況なので、ノアを抱いてはいつもの散歩の道を歩きました。中型犬でそれは大変なことでした。ついにオムツをあてがうようになりました。家の中でダンボール箱に入れて寝かしていましたが、自ら出ることができず、寝返りもしてあげる状況でした。箱の中から見つめているようでしたが、いつの間にか息を引き取っていました。ノアがいなくなったとき、ノアの前にも飼っていましたので、わが家は二三年間犬と共なる生活でしたので、やはりさびしさがありました。毎朝、犬と散歩していましたが、犬は主人の何よりのカウンセラーと言えるでしょう。綱を引っ張るように先になって歩きますが、絶えず後ろを歩く主人の声を聞いているのです。私は時には声を出して、今日のこと、明日のことなどを口走ります。犬たちは思わず足を止めて振り返ったりしますが、再び何事もなかったかのように歩き続けるのでした。
人は自分の気持ちをただ聞いてくれることを願っています。ところが、なかなか聞いてくれないのが人々なのです。黙って一人の存在を受け止め、うなずいてくれることが喜びであり、慰めとなるのです。小田急相模原に翠ヶ丘教会が建てられており、早川規先生が牧師をしていました。付属幼稚園の園長でもありました。早川規先生はドレーパー記念幼稚園の評議員を担ってくださり、運営に尽力くださっていました。その早川規先生は一昨年の春に天に召されました。大変さびしい思いをもっています。早川規先生とは二五年間のお交わりがあり、いろいろ人生の師でありましたが、何よりも私という存在をしっかりと受け止めてくださった先輩と思っています。一九七九年に大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長に就任しました。就任してまもなくこの地域の牧師会が開かれました。この地域には一七の教会があり、時には集まって情報交換をするのです。牧師会が終わり帰ろうとする私を呼び止めたのは早川規先生でした。もう一人の友達と共に、私を誘ってお茶のひと時をもってくれたのでした。その後、何かにつけてお交わりがありましたが、いつも聞き役に回ってくれたと思っています。就任まもなく、何かとわからないことがあり、行き詰ることがありましたが、解決をもとめてお話をするわけではないのですが、つい現状を言ってしまうのでした。いつも、頷いては話に同調してくれた早川規先生との出会いの思い出は、大きなぶどうの実として私の中にあるのでした。亡くなった人々との出会いを記すとしたら枚挙にいとまがありませんが、もう一人だけ記しておきましよう。
一昨年の五月に北海道に行きました。私達の教会は日本基督教団という包括団体に属しています。私はその日本基督教団の総会書記の任を負っております。日本基督教団は全国を一七教区に分けて、地域的な歩みがあります。毎年五月になると一七教区が総会を開いています。日本基督教団の議長、副議長、書記が手分けしてそれぞれの教区総会に出席し、挨拶を行うのでした。北海道に行ったのはそのためでした。北海道には何人かの友人が教会の牧師をしています。教区総会で会えることを楽しみに出席しました。ところが一人の友人は出席していませんでした。会議が進む中で、教区の主事の報告があり、私の知り合いの牧師の消息でした。病気で入院していると言うのです。幸い会議をしている札幌市内の病院であり、会議の合間にお見舞いしたのでした。友人の牧師とは神学校時代からの友人であり、卒業してからはそれぞれの道を歩んでいるので、殆ど会うこともありませんでした。それだけに、この時の北海道の教区訪問がうれしく、友人たちとの再会が楽しみであったのです。友人は女性牧師でありました。病院の受付で見舞いを請うと、担当者はできるだけ短いことを条件に許可してくれました。病室にいる彼女は笑顔で迎えてくれました。「あと半年位らしいのよ」と言い、「私が死ぬ前によく来てくださったわね」と言うのでした。末期癌であり、本人も言うごとく余命いくばくもないのです。「それにしても書記なんか担って、大変ね。でもあなたなら担える。がんばってちょうだい」と言いつつ、食事の時間であり、箸を進めるのでした。「死ぬとわかっていながら、人間って食べなきゃいけないのね」と笑うのです。お別れに当たり、互いに祈りあいました。私は、彼女が神様のご栄光をあらわしつつ天に召されることを祈り、彼女は私が書記の重責を担い、健康が与えられるよう祈ってくれました。その後、半年ほどして彼女の召天を伝え聞いたのでした。現実の生活からそのまま天国に行ったと思える姿であり、今でも現実の生活の中で「がんばってよ」と言っているようでもあるのです。この女性牧師との出会いも良いぶどうの実を与えられたと思っています。
今は天にある皆さんをぶどうの実としましたが、やはり、中でも幼稚園の現在の子ども達、また卒業生が豊かなぶどうの実と思っています。神様のおこころを心に植えられ、お友達を愛しつつ成長する子ども達は、何と豊かなぶどうの実でありましょう。道端で、駅やその他の場所で卒業生や保護者の皆さんと会うとき、また一つぶとうの実を得た思いとなるのでした。
「ぶどうの木」に寄せられた文章は保護者の皆さんのすばらしいぶどうの実でもあるのです。いつまでも光り輝くぶどうの実をこの「ぶどうの木」に実らせてくださり、心から感謝申し上げます。