ドレーパーの日記

楽しい幼稚園生活を通じて学び、成長している子どもたちの姿

ドレーパー記念幼稚園設立の発案者、角田敏太郎さん召天

保護者の方には馴染みがないかと思われますが、大切な事なので記しておきます。

2018年11月29日に大塚平安教会の会員である角田敏太郎さんが亡くなられました。

ドレーパー記念幼稚園は1962年にこの地に設立されたのですが、幼稚園をここに創ろうと言い出したのがこの角田さんでした。設立以来、ずっと幼稚園の運営に対して役員、理事として幼稚園のためにご尽力いただいていました。

その方が11月29日に亡くなられ、12月2日(日)の午後5時から大塚平安教会で前夜式、12月3日(月)の午前10時から告別式が行われることになりました。

 

幼稚園では11月30日(金)に収穫感謝記念礼拝を礼拝堂で行いましたが、その時に園児に角田さんのことを園長が説明させていただき、私たちが今こうして楽しい幼稚園生活を送れていることの感謝の気持ちを改めて共有した次第です。

 

 

 

 

 

2014年度に発行した在園児保護者・教職員による文集「ぶどうの木」の巻頭言に園長が幼稚園設立時について少し触れて書いていますので、下記に掲載させていただきます。

  

2014年度 ぶどうの木 園長による巻頭言より抜粋

ドレーパー記念幼稚園がこの地に創立されたのは一九六二年、大塚平安教会の方たちのご尽力によるものでした。当時の教会の牧師は乙幡和雄先生でした。乙幡牧師はこの大塚平安教会に一九六一年に着任しました。着任して、初めて幼稚園を作ることを教会の方々が望んでいることを知るのでした。特に教会役員の角田敏太郎兄が幼稚園の必要性を力説されるのでした。しかし、乙幡牧師が大塚平安教会にやってきたのは牧師としてであって、幼稚園をやるために来たわけではありません。悩んだ末に教会の牧師を辞職しようとも考えられたようです。しかし、「あなたの若い日にあなたの創造者を覚えよ」の聖書の言葉に心を動かされ、幼稚園設立を決意し、以後、最大限の努力を惜しまず幼稚園のために心血を注がれたのでした。わたしたちの創り主である神様、その御子イエスキリストが私たち一人ひとりのことを愛し、導き、励ましていてくださっているという事実を幼い魂に刻み付けると共に、その深い愛ゆえに私たち一人ひとりが互いに心を尽くして愛し合うことの喜びを、若き日より体得させたいと願うようになったからだそうです。こうして一九六二年に大塚平安教会付属ミス・W・ドレーパー記念幼児園が開園したのでした。何と、牧師が着任して一年後のことでした。聖書の言葉に押し出された牧師、教会員の皆さんの熱意、その思いを受け止めて協力して下さった多くの方々には本当に感謝です。おかげで、五十余年たった今でも、神様のお守りと恵みの中で楽しい幼稚園生活が導かれています。

 

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ドレーパー記念幼稚園設立時の写真

前列、左端に座っておられるのが角田敏太郎さん。定礎の石板を持っておられるのが当時の大塚平安教会の牧師、乙幡和雄先生(初代園長)。赤ちゃんを抱えておられるのが乙幡先生の婦人で幼稚園の教師もされた乙幡義子先生。後列、左端の男性は園長の父、佐竹正道さん(故人)です。